慶應義塾大学 高度物流人材育成塾さま
物流業界の未来を担う人材とは。
経験則からデータドリブンへ:慶應義塾大学が開設した「高度物流人材育成塾」
慶應義塾大学 先端研究教育連携スクエア特任教授 松川 弘明 さま
聞き手:JPR 執行役員 新井 健文
物流業界では、デジタル化の進展により大きな変革期を迎えており、データ分析人材の不足や既存ビジネスの維持・発展といった課題に直面し、人的資源の重要性が増しています。政府も高度物流人材の育成と確保を国家的重要課題と位置づけています。
こうした背景の中、社会人のリカレント教育と高度人材育成を目的として昨年立ち上げられた慶應義塾大学の「高度物流人材育成塾」について、塾長の松川弘明先生にお話を伺いました。
※2025年10月取材当時の情報をそのまま掲載しています
※掲載されている大学名、商品名等は、各社の登録商標または商標です
慶應義塾大学 高度物流人材育成塾とは
JPR松川先生、本日はありがとうございます。
物流業界では多くの企業が、新しいビジネスモデルを作っていかなければいけない、あるいは今あるビジネスをどう維持・発展させていこうかという課題を抱えています。
これらの課題は、従来の延長線上にあるというよりも、むしろ事業の非連続性のなかで生じており、これまでの経験や知見だけでは対処しきれないと感じています。企業はこの新しい非連続的な課題にどう向き合い、それを推進できる人材をいかに育成していくかという、大きなテーマに直面していると思います。
JPRでも、データの分析や活用を行う人材の採用や育成を課題と捉え取り組みをしていまして、同時に、共同輸送を促進するシステムの開発や、レンタルパレットの回収・供給ネットワークの最適化といった実際の事業や業務で、データ活用の価値を実感する機会もでてきました。
そこで、昨年立ち上げられた「高度物流人材育成塾」についてお話をお伺いできればと思います。まず育成塾の概要について設立経緯も含めて教えていただけますでしょうか。
松川先生「高度物流人材育成塾」は2024年11月に設立され、第2期に入りました。
国は高度物流人材の育成を重要課題と位置付けるなかで、デジタル化に対応しデータドリブンで思考する能力など3つの能力の必要性を強調しています。
育成塾は、その能力に対応する3つのコース(デジタル化・データサイエンスコース、サプライチェーン・サイエンスコース、物流先進技術コース)で構成されています。
私が育成塾を設立した経緯は、自身の専門である「経営工学」が社会に浸透していないのではないかという思いや、産学ギャップが大きいと感じていたことが動機となっています。大学の研究が社会貢献につながりにくい傾向と表裏一体に、企業が理論よりも経験を重視してきた現状があります。
この育成塾は、そうした学術と実務の乖離を解消し、体系化された理論を学ぶことで問題解決を可能にすることを目指しています。
JPRプログラムの具体的な内容や、受講された方々の様子について教えてください。
松川先生育成塾では、文系出身者でも理解しやすく、デジタル化やデータサイエンスの知識を習得できるカリキュラムが組まれています。やる気さえあれば、最適化や量子コンピューティングといった内容を習得できる点が特徴です。第1期の受講者は主に30代から40代の物流・流通業界の企業に所属する方が多く、全員が専門分野に関しては初心者でした。
カリキュラムは半年にわたって前後半各6回、合計12回の講義・演習を行います。サンプルプログラムを自分で改良して、データを解析しながら問題定義から問題解決まで経験をできるよう構成されています。受講者たちが自身のデータを用いた解析結果を発表しましたが、その質は非常に高く私自身も驚きました。
JPR実際の受講者の方々の満足度や、プログラム修了後の変化はいかがでしたか?
松川先生半年間のプログラム修了後、受講者からは高い満足度、そして自信を得たという声が多くありました。受講者が、「現場で使えるものだ」と実感することが重要です。中には、スキルを習得したことで、早速上司に対して「これやりたい」と直接改善提案を行う方も出てきています。
JPR実践的ですね。かなり高度な内容なのでしょうか?
松川先生必ずしも難解な数式に対する知識は必要ありません。
文系の方でも、問題や自分がやりたいことを文章で記述することができればいいのです。その意味で、物流現場の経験は有用です。
現代の物流に求められる人材像とは?
JPRこれからの時代に求められる人材像について伺っていきたいと思います。データの活用が重視されるという方向性のなかで、冒頭には、企業が経験を優先してきたというご指摘がありました。その背景には何があるとお考えですか?
松川先生そうですね。物流では一から経験して身に着けたことを重視するする向きがあります。
経験を重視する背景には、企業は短期的な成果、結果を求められてきたということもあるでしょうし、大学や研究機関側では、理論を分かりやすく伝える努力が足りなかったと言えるかもしれません。
長年経験が重視されてきたわけですが、「理論」は長年の実践の蓄積を体系化したものです。ですから、理論を学ばないのは非効率にも思えます。
データを駆使するこれからの物流人材を語るにあたって、経験の価値は否定されるものではありません。
ただ、経験のみに頼るのではない。真に求められる人材は、現場で問題解決に取り組んできた経験を持ちながら、理論や新しいデジタルツールを使いこなすことができる人でしょう。
JPR経験があるからこそ、ツールを効果的に活用できるとも言えそうです。
松川先生ええ。企業で数年間働いて問題意識を持った人の方が、大学を卒業したばかりの学生よりも、このプログラムを通じて学ぶことの価値をより深く理解できます。
JPR「理論」と「経験」の関係性に対する捉え方が大変興味深いです。
JPRでは、輸送ルートデータをもとに複数企業による共同輸送をアレンジするシステムの開発や、レンタルパレットの供給拠点であるデポと運送ネットワークの最適化といった取り組みをしてきました。理論やツールを理解したうえで、何を問題として設定するかや、影響を与える要素、制約条件を見極める力も必要だと感じていたことにつながりました。
JPRにおけるデジタルデータ活用の取り組みを紹介している
松川先生デジタル化やデータサイエンスはツールであり、意思決定をするのは人間です。機械に判断を任せることはできません。
AI、例えばChatGPTのようなツールは過去のデータ分析には優れていますが、未来に対する意思決定には限界があります。一方、最適化モデルは、過去のデータがなくても、決定変数とパラメーターを明確にすることで、未来の意思決定に役立ちます。
真に求められる人材は、現場の状況を深く理解しつつ、この新しいツールを使いこなして、より正確で費用対効果の高い意思決定ができる人です。
経験はパラメーターを正しく設定するうえで非常に役立ちます。しかし、最適化の理論を理解していなければ、そもそもどのようなパラメーターが存在するのかを把握できません。そのため、せっかくの経験も十分に活かせず、宝の持ち腐れになってしまいます。
高度人材物流育成塾は物流業界にどのような好影響を与えるか
JPRこの育成塾が物流業界全体に与える好影響について、どのように期待されていますか。
松川先生まず、受講者個人にとってのキャリア形成やスキルアップにつながります。今まで専門家に依頼していたような複雑な問題も、より手軽に、自分自身で分析できるようになります。
その先は、受講者がスキルを習得した後に、そのスキルを所属企業に広げていく学習文化の醸成が重要です。
企業側が受講者に学習内容の共有と協力を促す姿勢があれば、育成した人材の定着や組織全体の能力向上につながっていくはずです。
JPR企業全体の課題としてアカデミックな知識の価値と、それを活かすための経験を積む意義を両輪でとらえる視点が必要になりそうです。学習機会を増やすような施策はもちろん、学んだ知識を活用しやすくする組織のありかたも重要になりますね。
松川先生そうした取り組みの先に、物流業界のイメージが変わっていき、新たな人材が物流業界に集まるという好循環を生み出していくことを期待しています。
JPR現場の経験に加えて、デジタルと理論を使いこなせる人材が育つことで、物流業界の抱える様々な課題が解決に向かうことを期待しています。松川先生、本日は貴重なお話をありがとうござました。
物流業界の抱える課題を解決し、デジタル化やサステナビリティといった新しい時代の変化に対応できるリーダーを育成することを目的に2024年11月に設立。アカデミックな知見をもつ大学、現場の課題を深く理解している企業、そして政策を推進する官庁が一体となって、実践的な知識やスキルを学べるカリキュラムを提供している。